執筆/園山宗光
平成5年に父が栗野岳の山を紹介してもらい、畑を開墾したときに私は小学校の5年生ぐらいでした。
1ヘクタールの山を開墾するのは想像以上のことだったようで、鹿児島市の自宅から1時間以上かけて通いながら、時には栗野岳に泊まって母の手作りおかずと焼酎を飲みながら夜を明かし、スギ山は少しずつ畑らしくなっていったそうです。
私も平成17年に後を継いでから、畑の中の小さなハウスに父と泊まって昔話をよく聞いていました。
明かりがない真っ暗な山の中なので、星がぎらぎらと輝いていてとてもきれいでした。
畑らしくなった栗野岳農場で父が力を入れた作物はトマトでした。
もともと温暖化で下場では野菜が作れなくなると考えていた父は、標高400メートルの夏でも涼しい地の利を生かしたトマト栽培をメインに考えていたようです。
当時は年間数十種類の野菜を作っていましたが、トマトにかける想いは人一倍ありました。
2月のまだ寒い時期に自宅近くのハウスで種をまいて苗を作るのですが、これが大仕事です。
朝晩のハウスの開け閉めで温度調節をしながら水をやり、丈夫な苗ができるように努めていました。
4月になれば栗野岳に苗を運んで植え込み、収穫は6月中旬ごろからの2ヶ月足らずです。
トマトは無農薬で作るのは難しく、一般的には長く育てるのにそれ相応の農薬散布が必要になります。
これを一切せずに作っていたので、病気の予防、とりわけ病気が出にくい健康な土を作ることに最もエネルギーを割いていたように思います。
そうやって我が子のように育てたトマトの味は格別で、その頃は“園山さんのトマト″と言われる人気野菜でした(今ではにんじんのイメージが強くなっていますが・・・)。
今では栗野岳農場を弟が継いでトマトを作っていますが、年々トマトに時間をかける時間が取れなくなっていることもあって、今年も病気が入ってしまいました。
お客さんには喜んでいただけるトマトであっても、作り続けるのは根気がいります。
開墾以来連続して毎年作ってきたトマトも今年いっぱいとなりそうです。
その代わりに鹿児島市の農場で父が細々と作ってきたトマトがこの夏大豊作しています。
「トマト畑を見てきてごらん」。
珍しくそう言われて見に行った小さなハウスには、これまで40年の集大成とも言えるような立派な大玉トマトが何段にも実っていました。
私たち2代目はまだ農業を始めて十数年で、確信を持てるようになるまではまだ時間がかかるでしょうが、一歩ずつ理想とする土づくり、野菜作りに近づけていきたいと思います。